大学生のブログ。
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昨日は急に授業が休講になって、急に時間が出来たので
のんびり読書しようかなー、その後に面接の準備しよーとか思ってたら よりこから電話! 前から行きたいって話してた、ルーシー・リー展へ行こう、と。 よし行きます。 そんな感じでぎろっぽんの新国立美術館に行きました。 以下は感想とか、展覧会やウェブサイトから得た情報のまとめー。 ルーシー・リーさんっていうのは オーストリアユダヤ系家庭出身で、 第二次大戦時に亡命後、その人生の大半をイギリスで過ごされた陶芸家です。 というわけで、陶器の展覧会です。 地元が陶器の町だから、なんとなく器は気になってたんだけど casa brutusって雑誌のうつわ特集を読んでから、前より気になる度が上がり まぁまだまだ全然詳しくないんだけど、行ってみた次第w 展覧会のウェブサイトでは、 ルーシー・リーの生き様とその作品は、「シンプルで高潔、大胆で優雅」と表現されていますが まさに!ってかんじだった!! その言葉がジャストマッチ過ぎて、他の言葉が思いつかない。笑 作品は花瓶や大小の碗、コーヒーカップとか様々なんだけど どれも丸みをおびてつるっとしていて、均整のとれた形をしていたのが印象的でした。 均整のとれた、と言っても正確に左右均等とか、いつも正円を描いてるってわけではなく まぁ字のまま、バランスがよいってことですな。 溶岩が解けたような、あわぶくのような表面をしているものもあったんだけど (特別な釉薬を使っているあるらしい) それもやっぱり、他のものと同じように作られた本体の表面にかけられた物だから、「つるっと」感はそのままに感じられました。 女性的な作品って感じ。 なんというか、西洋なのか東洋なのかよくわからん感じでしたが そのよくわかんない感じがまたよかったw うつわに詳しいよりこ的には、微妙だったみたいw 実用というより作品って感じだったー ルーシーさんは 亡命時に、夫と進む道を分かち 子供もつくらないまま、その後は再婚もせず、陶芸に一生をささげているようですね。 途中で助手さんとして来た15歳年下のハンス・コパーとの仲が、個人的には若干怪しいと思うんですが。 (それに触れられていないのはなぜ・・・?ホントにただの友達だったのかしら) それはさておき。時代の寵児であったバーナード・リーチに批判されても作風を変えずに お金がなくて苦しくても、自分のやり方を通した彼女の生き様は凄いなぁと思います 最近、「時代の流れがーー」とか「お金がなきゃ生きてけないーー」とか考えてる自分 ひ弱。笑 自分のやり方を変えられなかった、っていうのもあるんだろうね 強い女性だぁ。 素敵。 でも、私は子供が欲しいな…笑 その後は、ギャラリーショップで変なぬいぐるみを見てテンションあげあげw ギャラリーショップはやばいね。 アフリカの壺からドラえもんまで売ってるんだよ。 おもしろすぎるww その次は、 ミッドタウン・デザインハブの 「世界を変えるデザイン展」へ。 これは、プロダクトデザインの展覧会。 概要はこんなかんじ 先進国におけるデザインは世界総人口のほんの10%を対象にしているに過ぎません。 これからのデザインは、その他90%の人びとのニーズに目を向け、彼ら の生活水準を向上させ、 自尊心に満ちた生活を提供する使命をもっていると、私たちは考えています。 (http://exhibition.bop-design.com/about/より) なるほど。 確かに、私達が享受しているデザインの多くは、先進国の設備や技術、インフラが整っているから成り立ってるものです。 ということで、水、食べ物、エネルギー、健康などなど 発展途上国で問題になっていることを解決するようにデザインされたプロダクツが展示されてました。 ごろごろ転がすだけで、大量の水を運べるやつとか。 おもしろいものだと、両側のフレームのとこに水入りの注射器がくっついてて、 水の入り具合で度を調節できるメガネとかw ホントに見えるようになるんだよこれが!! そうそう、こんな感じに一つ一つのプロダクツを手に取ることができるので そこも素敵でした。 ソーラーパネルを利用したものが多かったね。 発展途上国では、電源を確保するのが大変みたい ケータイを持ってるのはいいんだけど、充電するための電池を買うのにウン十キロ歩かなきゃ…とかね。 確かにソーラーパネルならその場で充電できるから、すごく良い。 なんというか、デジタルとアナログが入り混じっている感じがして 不思議な展覧会でした。 でも、こっちが現実なんだと思う。 私が住んでいる東京は、なにもかもがそろっている環境で 親には十分に支援してもらってる 大学生なので、時間も無駄にある。 だから、何かに制限されるっていうのをあまり実感することがない。 (就活のこと考えるとそれを急に思い出させられてうわぁぁーってなるけど) 何かが手に入らないとか、行けないとか、足りないとか、ないとか あまり感じない。 でも、特別っていうか変なのはこっちのほうで ちょっと田舎に行けば、何かの不足や制限なんて当たり前なんだ。 地元ってそうだし。 不足を感じないのって 凄く危険だと思う。 幸せなことだとは思う。もっと先を目指せるから。 でも、不足してた時の気持ちを忘れちゃだめだと思う。 ここが世界の先端で、ここが色んなものを世界に提供する場所なら、 世界でなにが足りていないのかを、一番考える人もいる町じゃなきゃいけないんじゃないかと思う でも、満たされてると忘れちゃうね 私はどちらかと言うと 前ばっかりを向いて先を目指すよりも 後ろを向いて、どこが足りないかなぁっていうのを考えて 先を行く人に「ちょっと、待って待ってー」って言いながら、 このくらいはいいっしょっていう、先に行ってる人の特権を「いやごめんね」と切り取って それで後ろの足りないところを埋めるっていう そういうことばっかやってきた気がする。 前を行こうとする力から見れば、うざいことこの上ないかもしれないけどw そういう「優しい」自分が好きだった気がする。 でも、優しいって言ってもらってもあんまり嬉しくなくなってしまった 今は、そうやってなんとかして全員の足並みをそろえることに 意味はあるの?って思ってる。 人の親切も、優しい言葉も、全然素直に「ありがとう」って受け止められない。 わかんないなー 前とは違う質を持ったものを、親切とか優しさだと思うようになったのかもしれない。 そして、今の方が楽なんだよね。 感情労働をしなくなったのかな。 よくわかんないけど、そろそろ時間がないのでここまでー PR |
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アメリカ長期留学から帰ってきた文系大学生です。
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