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アナと雪の女王を見てきましたー。

字幕と吹き替え、1回ずつ。

吹き替えがちゃんと日本人好みの表現をしていて、この吹き替え書いた人、すごいw

日本と欧米圏での「繊細で親の言うことを良く聞く娘」感の違いがちょっと見えた気がするw

松たか子と神田さやかの声もとってもよくて、

吹き替えの方が好きでした。

英語は英語でいいんだけどね。



字幕と吹き替え版でニュアンスが違ったのは、

親のことばと、エルサの自己抑圧の仕方かなと思う。

字幕版だと、エルサが自分にいい聞かせる言葉に

「誰も入れてはいけない、人に見られないように。

いつもいい子でいなさい、隠して、感情を殺すんだ」

というのがある一方で、吹き替え版では

「一人でいたいのに。誰にも会いたくない。」となっている。


実は、字幕では両親に「don't feel」って何度も言われてるんだよね。

それ以外にも、字幕の方で、両親がエルサの魔法を「もう私たちの手には負えない」と言う所も。

エルサ両親は、エルサの力を持て余していて、

エルサのために力を抑える訓練をさせたわけではなく、

きっと自分たちの体裁のために城を封じ込めた。

結局は、彼女の力の大きさを「異質で恐ろしいもの」としか思えず、

彼女の才能として認めてあげることができなかった。

力を彼女が一人で背負い封じ込めることなんで出来るはずもなく。

でも、そんな不完全な親でも、大事な人だと思うから、

親が死んでもなお、言われたことを自分でリフレインして、

大事な人からもらった正しさを貫こうとした。


一方で、日本語版の親にはそういう「エルサ持て余してる〜」「力を隠しなさい」

「感情的になってはいけない」的な台詞がないんだよね。

その代わりに、「大丈夫だよ」みたいな言葉になってる。

彼女を受け入れているいい親に見えるんだよね。

やっぱり城を閉じる決断をするんだけど、それも「エルサのため」っぽく見える。

エルサが人を傷つけて、自分がさらに傷つく前に、力をコントロールさせよう、と。

両親の思いやりに応えるために、自分と戦うために、自分の意志で引きこもろうとする。

日本人の感覚としては、確かにこっちの方が共感できる。

でもやっぱり、ここでも親の罪として

エルサが何年経っても力を抑えられないなら違う方法を試すべきだった。

子ども自身の意志を尊重したって、その子が自分にベストな方法を知っているとはかぎらないのだ。

「エルサのため」が重くて、エルサはつぶれそうになってしまった。

結局は親の独りよがりだったんだ。

まぁ、トロールの「力をおさえるのだ!」が効いたんだろうけど…

他人に言われたことではなく、娘をちゃんとみて判断せよということだな。



「Let it go」が、カタルシス感があるということで人気になってるけど

私は、あんまりそうは思わないんだよね。

むしろ、ちょっと悲痛というか。

「扉を閉じて、自分を信じて」

そんなフレーズを繰り返す自分は、何も頼るもののない彼女が

徹底的に独りよがりになるしかなく

周りの人と断絶することを選ぶ歌だ。


だから、let it goへの共感が集まるのって、どうかなーと思う。

個人的には、wickedのdefying gravityの方が爽快でよい。

「嫌われても構わない、お互いの幸せを祈って、さようなら」って曲。



二つの歌の何がちがうのかなーと考えると

人を傷つけることを受け入れているかどうかかな、と思った。

結局、力って言うのは、それを持つ代償に

何かを傷つけるんだ。


エルサは、人を傷つけるたびにへこんで、人を避けて、さらに人を傷つけていく。

開放の歌は爽快なようでとても危うくて、彼女が得たと思い込んでいた自由は

実際、すぐに崩壊してしまう。

ひきこもりの人が「自分が一人で部屋にこもってる分には人に迷惑かけない」

と勘違いしてたら、引きこもってることが家族や周りの人を傷つけてた、ってやつですね。

それが徹底的な所までいって、一番大事な人を殺しかけてしまう。

そんな彼女を最後に救ったのは、死んでも彼女を守る「大事な人」の存在。

彼女のつけた傷を受てなお、彼女の力の「良さ」を信じて、生かそうとする人だ。


この映画のテーマは、「真実の愛と自己の開放」だというけど、

この開放はやっぱり、let it goのところではなくて、最後の所なんだろうなと思う。

そして、「愛とはなんぞや」のメッセージはトロールの「愛さえあれば」の歌に込められている。

「怯えていると道を見失う、でも愛があれば最高の道を選べる。

誰も完璧じゃない、それでいいのさ。家族お互いに支えあえばいい。

完璧じゃないのを補うのに必要なのは愛」

人を受け入れて、人に受け入れてもらってやっと、

自分は自分を受け入れて、ついに開放されるのだ。



自分の力を開放したい、本当の自分でいたいと

願う人は多いんだろうなぁ。

それは、自分の力が押さえつけられているように感じるから。

認めてもらえないなら、いっそ一人で。

でも、やっぱり一人じゃなんにもできないのだ。


うーん

自己開放の物語としては、自分の手を汚す覚悟をしているウィキッドの方が、

やっぱり私は好きだなw
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