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大学生のブログ。
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久々の更新です。ちぐです。

気がつけば社会人になってもうすぐ4年目を迎える。

ということは、京都も4年目。

京都には私のことを「ちぐ」と呼ぶ人が少ないのがちょっと寂しいです。


1年目2年目とがむしゃらにやってきて、

3年目になってやっと落ち着いてきた気がする。

仕事も思うように回せるようになってきて

やっと自分を省みる余裕もできてきた。

自分の時間を持てるようになってきた。


今日は、3年前の引越し以来手をつけていなかった本の段ボールを整理しました。笑

新しい棚を買って、あと2つの段ボールを整理して、キッチンラックも買うつもり。

自分でお金を稼いで、自分の好きな部屋に住む。

それが私の目標、理想

だったけど、最近まではもはやそれどころではなかった…笑

やっと落ち着いて考えられるかな、と思うけど

この部屋にはあんまり長く居ないかもだし

まぁ理想は高くしすぎず、不便なく、不満なく過ごせる部屋にできたらなと思ってます。


最近自炊をする余裕もできてきたから

キッチン周りが快適になるのはとっても楽しみ^^


まぁそんな感じで過ごしているのですが

26歳にして、これからどうしようかなぁと考えています。

このまま、この仕事を続ける?極める?

夢の漫画家や小説家になるために頑張る?


今の仕事はなんだかんだで楽しくて

このまま極めることができたら、それも素敵だなと思える仕事です。

漫画や小説については、どうなんだろう

正直、以前みたいな情熱がない。

伝えたいものがあるわけじゃないんだよね。

そして、一人でもくもくと創作するのが

なんだかつまらなそうだなぁと感じてしまうのです

前は一人でやる方が絶対に好きだったのに、不思議だけどw

別に大勢じゃなくていいけど

何人かの仲間と意見を交わしながら

ものを作っていくのってとても楽しいと思うんだよね。

漫画とか小説も、編集さんやその他いろんな方との共同作業にはなるんだろうけど

孤独に思いつめてしまうのが怖いな、と思ってしまう。



なにより

私、今の状況にかなり満足しているんだと思う。

休みが少なくて友達に会えないし、京都は新しいもの少ないし、

給料ももうちょっとなーって感じだし

まぁいろいろあるけど

会社の人たちには暖かく、今では当たり前のように仲間として受け入れてもらえて

自分の席があって、毎日私に任せてもらえることがあって

気がつけば3年も過ごしてきた。

今まで、こんな風に毎日顔を合わせて、同じ目標に向かって

3年間ずっとやってこれたことってあっただろうか。

中学の部活以来だと思う。

そして部活は人間関係も技術も上手くいかなかった。

あの頃の自分を思うと

今の私はすごく幸せだと思う。

この幸せを手にいれた自分を、すごく褒めてあげたいと思う。

夢を叶えて立派に活躍しているわけでもないし、

有名になったわけでもないし、

いっぱい稼いで親孝行できてるわけでもない。

でも、私やっと人に認められて

自分にも認められて

今、十分な毎日を過ごしてる。

何て幸せなんだろうと思う。


これから先を思うと

不安もあるし、もっといろいろと勉強したり行動したりしなきゃと思うけど

でもとにかく、ずっと持っていた劣等感や、孤独感を

自分で選んだ場所で、自分の力で

越えられたことがとても嬉しいと思う。



今日、テレビで眼病の特集をしていて、

久々に遠視について調べた。

何か画期的な技術進歩で治るようになったり、

眼鏡をかけずに済むようになってないかなと思ったけど

症例がすくないからか、やっぱり難しいみたいで

なんだか久しぶりに、自分の身のどうしようもなさに打ちひしがれた気分になった。

でも、逆に

ここ数年の自分は、目のコンプレックスなんて全然感じずに生きてきたなと

ふと気がつきました。

メガネのことを何かという人なんて、大人には全くいないし

これが原因で恋人ができないということもなかったし

逆に、よく人に覚えてもらえそうだし

目は大きくなるし

悪いこと何もないなって感じでした。

髪のくせ毛も気にしてたけど、

最近はそんなにひどくないし

私、すっかり「普通の人」になれたって

今思います。

でも、昔は違ったな。

メガネのことも、髪のことも

とても劣等感に感じてた

どうすることもできない障害に

とても辛い思いをしてたと思う。

見る力が弱かったからか

いろんなことが上手くいかなくて

でも、どうして上手くいかないのかわからなくて

いつも悲しかった。

私はできない子なんだな、と思ってた。


だから、できない人に優しくなろうと思った。

できるように伝えようと思った。

好きでできないわけじゃないんだから。


でも、今はあまりに不自由がなくて

満たされていて

そんな気持ちすら、すっかり忘れてた


私が物語で表現したいと思ったのは

言葉にできないもどかしさを

なんとかしたかったからなのかもしれないな

やり場のない気持ち、どうしようもなさ

それをどこかへぶつけたくて

物語に込めたかったんだ



そうだな、昔の私みたいな人の力になれるなら

形にしていくのはやっぱり良いのかもしれない。


私の創作意欲の源泉はそこにあったんだ

なんだか一つ気がつけた気がする
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久々に東京へ。

友達と会うと、いつも通りで

何も変わらず楽しく過ごす

京都で途切れてしまった時間、

遠くへいってしまった自分が

また戻ってきたような気がする。

私とはどんな人だったのか

少し思い出す。

私は友達みんなに憧れて

みんなのいいところ見て、いいな、いいなって

羨ましがってばかりいて

自分がその人になれるように、真似しよう真似しようって

なんだかいつも焦ってた。

でも、何をどうがんばっても、私は他の人にはなれなくて

私は私で

友達は、私よりずっと、「私」ってどんな人なのか見てくれてたのかもなと

今日は思いました。


私が一番

私を見てなくて、

私でなくなろうとする私が

一番不自然だったのかもしれないと

なんだか今なら思える。


私はどんな人?

私は何が好き?

もっと自分を好きになって、自分のことを大事にしてあげたい

自分で自分を否定して、振り回すばかりの日々はもう終わるのだ。

人に理解されなくたって、私は私。

私は、私のしたいことをするのが一番いい

楽しいことを見つけよう。

何が楽しいのかは

私が一番知ってるはずだ。
今の職種に変わってから、芸術家の方とお話する機会に恵まれています。

一流の作家を間近見て、関わること。

今の仕事のなかでやりたかったことのひとつが、

少しずつ、達成できていると思う。



昨日も、ある作家さんとお話しさせていただいて、

自分の作った物をほめていただきました。

実際は、色ーんな人の意見を総合して、

細かいとことは完全に印刷会社に作ってもらったから

あんま作ってないけど(笑)

そういうことも、「ものを作る」ということだと認めてもらえるのなら

自分の仕事をほめてもいいのかな。

デザイン系の学校に通ってたの?

といわれたりして

とっても嬉しかった。


大学の時、デザインサークルにいたけど

当時は全然できなくって

デザインとアートの違いもわからなくて。

友達はデザイン系の会社でバイトして、デザイン職で就職したりしたけど

機会を逃して、実力もなくて、努力をしなかった私は

そこまでいけなかったから

残念だったなぁとずっと思ってた。


「デザイン」になんて全然興味がなかったのに

大学でデザインを選んだのは、

ひとつ、できるようになりたいと思ってたからだと思う

習い事、部活、色々やったけどなんにも身に付いてなかったから

「私、これができます」

っていうことが欲しかった。


自分の好きなものだけじゃなくて

それ以外の美しさも知りたかったし、

アウトプットとして身につけたかった。


できたかな

自分のやってきたこと、認めていいかな



昨日の作家さんがおっしゃっていたことで

とても印象的だったのは

「自分の描いた絵で、子どもの頃、

絵を描いたときのことを思い出してほしい。

だって、みんな小さいときは描いてたんだから」

という言葉。

なるほどなぁと。

そういえば

小さい時、絵を描くのが好きだったなぁ

最近は、「(目標より、人より)上手く描けないなぁ」

と思って

どうしても描くことを躊躇してしまっていたけど

あぁ、そうだ昔は

ただ、ただ好きだったな、と。

自分の頭で思い描いて

自分の思う形を描くことが

とても楽しかった。


ものの形がきちんと写し取れないのが悔しくて

デッサンを学んだらできるようになって、

すごく嬉しかった。

デッサンも、それはそれで好きで

じっと目の前にあるものを見つめて

ひたすら何時間も描き続けるのがとても楽しかった。

でも、ものの形が写し取れるようになって、

さて、絵の集まったサイトなんかをみてみると

皆が同じような絵を描いていて

それを写し取ることっていうのは、きっと多くの人ができることで

人の絵を見たら、自分もその人の絵になってしまいそうで

なんだか、絵を見て学ぶ気になれなかった。



「絵より先にものがある」

そんなことも、その作家さんはおっしゃってたな。

そう、そうなんだよなぁ。

ものの形を

自分で作る

そういうのが、絵を描くってことなんだ



東京だいすきだけど

東京に行って混乱したのは

「ものより先に、『作られたもの』がある(溢れている)」

ことだったのかもしれない

そこで揺れて、ものを作ることってどんなことなのか

分からなくなってたし

作られたものばかりをおなかいっぱい見て、

でも、自分の目で見たものや感覚じゃなくて

吐き出せずに息がつまってた気もする






アナと雪の女王を見てきましたー。

字幕と吹き替え、1回ずつ。

吹き替えがちゃんと日本人好みの表現をしていて、この吹き替え書いた人、すごいw

日本と欧米圏での「繊細で親の言うことを良く聞く娘」感の違いがちょっと見えた気がするw

松たか子と神田さやかの声もとってもよくて、

吹き替えの方が好きでした。

英語は英語でいいんだけどね。



字幕と吹き替え版でニュアンスが違ったのは、

親のことばと、エルサの自己抑圧の仕方かなと思う。

字幕版だと、エルサが自分にいい聞かせる言葉に

「誰も入れてはいけない、人に見られないように。

いつもいい子でいなさい、隠して、感情を殺すんだ」

というのがある一方で、吹き替え版では

「一人でいたいのに。誰にも会いたくない。」となっている。


実は、字幕では両親に「don't feel」って何度も言われてるんだよね。

それ以外にも、字幕の方で、両親がエルサの魔法を「もう私たちの手には負えない」と言う所も。

エルサ両親は、エルサの力を持て余していて、

エルサのために力を抑える訓練をさせたわけではなく、

きっと自分たちの体裁のために城を封じ込めた。

結局は、彼女の力の大きさを「異質で恐ろしいもの」としか思えず、

彼女の才能として認めてあげることができなかった。

力を彼女が一人で背負い封じ込めることなんで出来るはずもなく。

でも、そんな不完全な親でも、大事な人だと思うから、

親が死んでもなお、言われたことを自分でリフレインして、

大事な人からもらった正しさを貫こうとした。


一方で、日本語版の親にはそういう「エルサ持て余してる〜」「力を隠しなさい」

「感情的になってはいけない」的な台詞がないんだよね。

その代わりに、「大丈夫だよ」みたいな言葉になってる。

彼女を受け入れているいい親に見えるんだよね。

やっぱり城を閉じる決断をするんだけど、それも「エルサのため」っぽく見える。

エルサが人を傷つけて、自分がさらに傷つく前に、力をコントロールさせよう、と。

両親の思いやりに応えるために、自分と戦うために、自分の意志で引きこもろうとする。

日本人の感覚としては、確かにこっちの方が共感できる。

でもやっぱり、ここでも親の罪として

エルサが何年経っても力を抑えられないなら違う方法を試すべきだった。

子ども自身の意志を尊重したって、その子が自分にベストな方法を知っているとはかぎらないのだ。

「エルサのため」が重くて、エルサはつぶれそうになってしまった。

結局は親の独りよがりだったんだ。

まぁ、トロールの「力をおさえるのだ!」が効いたんだろうけど…

他人に言われたことではなく、娘をちゃんとみて判断せよということだな。



「Let it go」が、カタルシス感があるということで人気になってるけど

私は、あんまりそうは思わないんだよね。

むしろ、ちょっと悲痛というか。

「扉を閉じて、自分を信じて」

そんなフレーズを繰り返す自分は、何も頼るもののない彼女が

徹底的に独りよがりになるしかなく

周りの人と断絶することを選ぶ歌だ。


だから、let it goへの共感が集まるのって、どうかなーと思う。

個人的には、wickedのdefying gravityの方が爽快でよい。

「嫌われても構わない、お互いの幸せを祈って、さようなら」って曲。



二つの歌の何がちがうのかなーと考えると

人を傷つけることを受け入れているかどうかかな、と思った。

結局、力って言うのは、それを持つ代償に

何かを傷つけるんだ。


エルサは、人を傷つけるたびにへこんで、人を避けて、さらに人を傷つけていく。

開放の歌は爽快なようでとても危うくて、彼女が得たと思い込んでいた自由は

実際、すぐに崩壊してしまう。

ひきこもりの人が「自分が一人で部屋にこもってる分には人に迷惑かけない」

と勘違いしてたら、引きこもってることが家族や周りの人を傷つけてた、ってやつですね。

それが徹底的な所までいって、一番大事な人を殺しかけてしまう。

そんな彼女を最後に救ったのは、死んでも彼女を守る「大事な人」の存在。

彼女のつけた傷を受てなお、彼女の力の「良さ」を信じて、生かそうとする人だ。


この映画のテーマは、「真実の愛と自己の開放」だというけど、

この開放はやっぱり、let it goのところではなくて、最後の所なんだろうなと思う。

そして、「愛とはなんぞや」のメッセージはトロールの「愛さえあれば」の歌に込められている。

「怯えていると道を見失う、でも愛があれば最高の道を選べる。

誰も完璧じゃない、それでいいのさ。家族お互いに支えあえばいい。

完璧じゃないのを補うのに必要なのは愛」

人を受け入れて、人に受け入れてもらってやっと、

自分は自分を受け入れて、ついに開放されるのだ。



自分の力を開放したい、本当の自分でいたいと

願う人は多いんだろうなぁ。

それは、自分の力が押さえつけられているように感じるから。

認めてもらえないなら、いっそ一人で。

でも、やっぱり一人じゃなんにもできないのだ。


うーん

自己開放の物語としては、自分の手を汚す覚悟をしているウィキッドの方が、

やっぱり私は好きだなw
実家でゆっくりして、色々考えられたと思う。

紅白を見ていて、いくらやっても、遂行できなければがんばったとは言えない

って思った。

ただやるだけじゃだめなんだ。何が求められているかを知って、

自分が何を提供したいのか、信念をしっかり持って

ひとつひとつ進めて行かなきゃ

やんないほうがましだ。














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